本稿は、2026年2月8日付のニューヨーク・タイムズに掲載された、同紙のブック・出版分野担当記者である Alexandra Alter によるインタビュー記事をもとに構成しています。
取材対象は、世界的作家である 村上春樹 さんです。
この記事で最も印象的なのは、村上春樹さんが自身の創作プロセスについて
「書き始めるまで、何が起こるか自分でも分からない」
と語っている点です。
40冊以上の作品を書き、世界中で何千万部も売れてきた作家でありながら、
彼は今なお「計画を立てて物語を書くことはない」と言います。
書く行為とは、意図的に物語を組み立てることではなく、
自分でも正体の分からない“別の世界”に入り込み、
そこで見聞きしたものを、現実世界に持ち帰って記録する行為に近い。
村上さん自身は、それを「無意識の世界」と表現しています。
彼は自分を、
優れた文体家でも、天才的なストーリーテラーでもない、と語ります。
ただ一つ、自分にできることがあるとすれば、
その「別の世界」と現実世界を行き来し、
向こう側で起きた出来事を、こちら側に報告できることだ、と。
この自己認識は、
いわゆる「作家=表現の支配者」というイメージとは大きく異なります。
むしろ彼は、自分を
「特別ではない、普通の人間」
だと繰り返し強調しています。
記事では、ニューヨークの地下ラウンジで行われたインタビューの様子も丁寧に描写されています。
薄暗く、洞窟のような空間は、彼の作品に頻出する「地下」「トンネル」というモチーフとも重なり、象徴的です。
公の場に出ることを好まない村上さんは、
テレビ出演や自己解釈の説明を避けてきました。
それでも近年は、
日本文学の国際化を語る講演や、
生涯功労賞の受賞スピーチなど、
最低限必要な場には立つようになっています。
そこには、「書くこと以外は、できるだけ静かに暮らしたい」という、
彼一貫した姿勢が見て取れます。
記事後半では、
現在77歳となった村上さんが、
大病を経てなお新作長編を書き上げたことにも触れられています。
体重が大きく落ち、歩くことさえ困難な時期を経験しながら、
回復後に再び「書きたい」という衝動が戻ってきた。
彼はそれを
「一種の復活(resurrection)」
と表現しています。
今回の新作は、
これまでとは少し異なり、
より希望を感じさせる作品であり、
さらに彼自身にとって初めて、女性の視点を中心に描いた長編だと語られています。
「彼女になった」と村上さんは言います。
これは、
登場人物を“描写する”のではなく、
その存在そのものに入り込む、
という彼の創作観を象徴する言葉です。
また記事では、
若い頃、日本文学から距離を置き、
アメリカ文学や音楽から強い影響を受けたこと、
ジャズ喫茶を経営していた時代、
英語で書いてから日本語に訳すという独特の方法で文体を確立したことなども紹介されています。
日本国内では長く異端視され、
批評家から厳しい評価を受けながらも、
世界的評価が先に確立されたことで、
日本文学そのものの地平を広げていった過程も描かれています。
現在の村上春樹さんは、
もはや「外側の存在」ではなく、
日本文学の流れそのものを変えた存在として位置づけられています。
それでも本人は、
自分があと何冊小説を書けるかは分からない、と正直に語ります。
ただ一つ確かなのは、
書くことが、
今もなお「自分自身を探検する行為」であり続けているということ。
年齢を重ねても、
探検できる場所はまだ残っている。
この記事全体を通して浮かび上がるのは、
成功や評価の話ではなく、
「書くとは何か」「創作とはどこから来るのか」という、
極めて根源的な問いです。
そしてその問いに対して、
村上春樹さんは今もなお、
答えを決めずに、
ただ書き続けている、という姿が静かに描かれています。







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