沖縄での戦争の話

谷口です。

大阪市の大正区は「リトル沖縄」と言われているのですが、大正区には、戦前から大きな鉄鋼や紡績会社の工場がたくさんあり、そこに、仕事を求めて沖縄の方がたくさん移住され、戦後も、家族や親戚を頼って、大阪に来られた方々がさらに増え、その方々が、大正区で今もたくさん暮らしていらっしゃるからです。

私が父と共に最初に、整骨院を開業したのが、この大正区でした。

沖縄出身の方々は、みなさん、とても明るく、親切な方が多く、待合室で「19の春」を歌ったり、「腰の痛みが取れた!」と、治療の後に、一緒に沖縄の踊り「カチャーシー」を踊ったり、また、「先生はまだ若いからお腹空いているやろ」と、そうめんチャンプルーや、サーターアンダギーをよく頂きました。

しかし、戦争の話は、ほとんどしませんでした。特に戦後、大正区に来られた、おじいちゃん、おばあちゃんは、一切、しませんでした。

しかし、一人だけ、沖縄での戦争体験を話してくれておばあちゃんがいました。

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その日は、とても晴れて、雲ひとつないいい天気だったよ。

村の人たち、と、言っても、その時は、お年寄りと女、そして、子供しかいなかったけど、空襲された家をみんなで片付けようと朝から、みんなで頑張ってたよ。

そして、若い女が集まって、みんなのお昼ご飯として、残り少なくなったお米でおにぎりを作ってた。
とても、大きくて、綺麗なおにぎりを一生懸命作ってたよ。すると、遠くの空にアメリカさんの戦闘機が一機見えた。

西から東へ飛んでいたので、こっちに来ることはないだろうと思ってたら、急に回旋して、こっちに向かって来たんだ。
私たちは、これは危ないと思って、おにぎりを置いて、全力で防空壕に向かって走ったよ。

でも、私の後ろでまだ何人か、走っているのは分かったけど、私が防空壕に駆け込んだ後、私の後ろで凄い機関銃の音がした。

戦闘機はそのまま、どこかへ飛んで行って、二度目は戻って来なかったので、しばらくして、私たちはゆっくり、防空壕から出て行った。

そこには、真っ赤に染まったおにぎりが散らばっていたんだよ。
後ろの人達は、おにぎりを持って逃げてたんだね。

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私と同じ年代の人達は、実際に戦争を体験した方々の話を聞く機会もあったと思うのですが、今の若者達は、そのような話を聞く機会はどんどん少なくなっています。

私は、戦争体験をした方々から聞いた話を間接的にしか伝えることはできませんが、コロナ感染拡大が止まらない今、ワクチン接種が広まっている今、8月15日に、先の戦争のことを考え、今の日本が抱えている問題を真剣に考える必要があると思い、大正区に住んでいた、沖縄出身のおばあちゃんから聞いた話を紹介しました。

日本ボディーケア学院学院
鍼灸師、柔道整復師、指圧師
NPO法人ハートカルチャー理事

日本ボディーケア学院は今年で開講23年目を迎え、現在は、オンライン講座、また教材で独自の健康法を指導している。

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